試飲メモ

自慢じゃありませんが、私の試飲に的外れです。お酒のテイスティングで5種類のお酒を全部間違えたことがあるくらいですから。それで少しでも味覚と嗅覚を敏感にしようと、メモを取るようにしています。ところがコピーライターの看板を泣いてしまうようなボキャブラリーの少なさに我ながら呆れています。読むほどのもんじゃありません。私の練習帳です。 


湯冷ましの温度

いまさらですが。お茶ってお湯の温度で味が変わりますね。以前に「人と農・自然をつなぐ会」の新茶を「渋い」と書きましたが、適当に温度を変えながら何度も淹れているうちに、違う味わいが出て来ることに気がつきます。私自身は「渋い」ことをプラスに評価していますから、第一印象による感想を変えるつもりはありませんが。

さて、写真はマンガ「茶の涙」4巻の91ページのひとコマです(水面かえる作・2011年・マックガーデン発刊)。読んでいない方もいるでしょうから、このコマの前後を簡単に説明しますと。

フランスから来日した漁農大臣がテレビに出演し、司会者が日本酒、焼酎、日本茶を大臣に勧め、日本の伝統的な飲料の良さをアピールしたときに、大臣がこの発言をしました。フランスのワインを注いだワイングラスを司会者に勧め「一流ドメーヌの最高級ワインだ。この極上の味を、保存さえよければ誰が注いでもほぼ同じ味で飲むことができる」といい、写真のコマになり、「しかも、ワインは100%ブドウだが、茶の99.7%は水!水が悪ければそれでお終い。あまりにも不安定な飲料ではないか」と続けます。

このマンガを読んだときから気になっていたフレーズであり、マンガの中でも明快な答えを出してはいません。皆さんはどのように考えますか。

で、ここまで書いて、二日間ほど時間を置き、ふたたび、この書き込みと向かい合っています。結論から先に書くと、マンガのセリフは「こどもっぽい理屈」だと思いました。

お茶やコーヒーに限らず、ワインだって、サービスマンの提供方法で味わいが変わるものです。それは食品に限ったことではなく、例えば包丁でも使い手の力量で切れ味が違います。だからと言って、それを不安定な切れ味とは言いません。

同じお茶を淹れても、淹れる人によって味が違う、それが面白い、ということを前提に、お茶は作られていて、だからこそ、自分なりに美味しく淹れようとする、のではないでしょうか。

さてさて、先週の水曜日に小川先生の中国茶の教室に出席し、中国茶、紅茶、釜炒り緑茶(日本茶)と蒸し製緑茶(日本茶)をいただきました。全部新茶です。そのときに煎茶を入れるお湯の温度のことが話題になりました。釜炒りは熱に強いので95度、蒸し緑茶は75度との説明。さらに、その温度、湯冷ましの温度についての説明。小川先生はもちろん温度計を持っていて、必要なときにはそれで確かめているのですが、通常は「湯冷まし」を触り、「手に持てる温度になったら、それが煎茶の適温」という分かりやすい説明をされました。実際にわが家で検温したらドンピシャの65度。そして考えました。「手に持てる温度」とは。適温は数値ではなく、手の感覚で判断するもの。小川先生がおっしゃった意味はそこにあると気づきました。お茶をやっている人には「いまさら」のことでしょうが、こんなところでウロウロしています。(平成27年5月19日書き込み)

人と農・自然をつなぐ会

人と農・自然をつなぐ会の「第39回お茶摘み交流会」に参加してきました。良い時間でした。その報告は別に書くとして、同会で購入してきた新茶をいただいてみました。まずは熱いお湯で、次に「氷だし」で、更に、ややぬるめのお湯で。淹れ方を変えたのは、想像していた味と違ったからです。そうそう、私のテイスティング能力はまったく当てになりません。だったら書くなと突っ込まれそうですが、思うところもありますので、慎重に書きます。まず、茶葉を点検。サイズが揃っています。きらきら輝いているきれいなお茶です。お湯の量に対して2.2%程度の茶葉を使い、熱湯を注ぎ、1分間抽出。渋いお茶です。次に氷で淹れました。急須に茶葉を入れ、氷のキューブを3個入れ、氷が解けるまで待ちます。20分くらいかかりました。やはり渋いお茶です。茶葉の量を減らし、少し冷ましたお湯で1分間抽出しました。渋さは控えめになりましたが、やはり渋いお茶です。お茶とは渋いものであると主張しているように感じました。渋みがストレートに伝わり、余計な味がありません。新茶だからでしょうか。実直かつ力強いお茶だと思いました。(平成27年4月27日書き込み)


静岡の田舎荒茶 

静岡の荒茶の封を切りました。誤解を恐れずに言うなら「うまくないけどうまい」お茶です。うま味成分が少なく、お茶の渋みが勝っていて、気取らず、気負わず、がぶがぶと飲めます。何杯飲んでも、口中や舌に渋みが積み重ならず、飲み飽きしません。これはいいお茶です。1月に静岡駅で購入。

購入した理由のひとつは各地の日用のお茶(常茶)をコレクションしているからですが、もうひとつの理由はパッケージにあります。

商品名は「田舎荒茶」。荒茶というのは産地の茶工場で製茶されたもので、仕上げの製茶を施していないお茶のことです。仕上げの製茶を「お化粧」に譬える、荒茶は「すっぴん」といえるでしょう。茶葉のサイズも不揃いで、茎も残っています。

ネーミング「田舎荒茶」のショルダーに「農家大ざっ葉造り」とあります。「大雑把」を「大ざっ葉」と書き換えていて、それは親父ギャグですが、効果的に使われています。というのも、パッケージ全体が丁寧にデザインされていて、親父ギャグもたんなる「思い付き」ではないと感じたからです。ただ、ボディコピーの「茶農家が主に自家用煎茶として味本意に仕上げた荒茶造り茶です」には、半分の真意と半分の作為があり、半分の真意の方を評価したいと思います。


ちゃぼぼの風 

今朝の田舎茶は「ちゃぼぼの風」。岐阜県揖斐川町の旧春日村で在来茶による「ほうじ茶」と「紅茶」をつくっている中村さよさん(ちゃぼぼ園)からいただいたもの。春日村は揖斐川沿いの谷間のまち。山と川の間にくねくねと続く細い道を登っていくと、急斜面を開墾した段々畑の茶畑が見えてきます。きれいに整列している畝はヤブキタ、ジグゾーパズルのように入り組んでいる茶畑は在来茶です。「天空の茶園」を標榜するところが各地にあるようですが、春日にもそう呼ぶのにふさわしい絶景茶園があり、春日に行くたびに見に行き、雄大でありながら箱庭のように手入れが行き届いた不思議な景観に魅せられています。今日のお茶の淹れ方は、茶葉をお湯の量の1.3%、熱湯で30秒抽出、香りを引き立たせることに重点を置きました。(H27年2月10日更新) 

春日の茶園の写真はカバーストーリーにあります。 


りぐり山茶・荒ほうじ

いまから小川先生の中国茶の教室に行きます。きっと高級なお茶をいただけるでしょうから、今朝のわが家のお茶は、素朴な田舎茶にしました。在来茶で名高い国友農園(高知県いの町)の釜炒り茶。これも高級なお茶なのですが、私の中では「常茶」に位置づけられています。清々しさと青っぽさの境目にある味と香り。抽出時間を2分間にしたためか、ほんのり甘く入りました。ちなみに「りぐり」は土佐弁のりぐる(こだわる)の五段活用の連体形。 (3月7日書き込み)


日曜朝に「赤ちゃん番茶」

三重県の亀山に訪問した時にまちのお茶屋さんで購入したもの。あちこちで買った田舎のお茶(主にほうじ茶ですが)が貯まってきたので、順に開封しています。アルミの行平鍋で煮出すというラフな入れ方をしています。焼き菓子のような甘い香りが、ふっとすることがあり、それも楽しみのひとつです。(1月18日書き込み)