地域づくりコーディネーター

1995年から石川地域づくり協会(当時は石川県地域づくり推進協議会)に関わり、地域づくりコーディネーターをしています。2011年に同協会に「地域づくりコーディネーター登録制度」をつくり、地域づくりコーディネーターを委嘱されています。このページでは地域づくりコーディネーターの活動を紹介します。


地域づくりコーディネーター研修会

 

開催日 平成29年2月27日(月曜日)

会場 東京八重洲ホール

テーマ  地方と都市をつなぐ仲介者から学ぶ 地方と都市を結ぶ力

主催者  地域づくり団体全国協議会

 

・基調講演などで岡崎先生が言われたのは地域づくりへの若者参加のこと。そこで今回の研修となった。事例発表者も受講者も、これまでのコーディネーター研修の顔ぶれとは異なり、若返った。受講申込も定員40名を超え、42名にもなった。

・参加者に偏りがあった。長野県7人、兵庫県6人など複数参加県が多く、全体では16都府県にとどまった。今年度の全国大会開催県の香川県からは地域おこし協力隊がひとり参加しただけで、全国大会への関心の薄さが気になった。行政職員14人、地域おこし協力隊4人。行政職員も地域おこし協力隊の関連部署が多く、地域おこし協力隊が地域づくりの関心事の上位に来ているように感じた。交流会参加者は17名であった。

・児玉光史(こだまみつし)氏は長野県上田市在住、39歳。東京大学、電通勤務を経て、帰郷し、実家のアスパラガスの販売を手始めに、地域産品のカタログギフト市場(結婚式の引き出物として配られるカタログ)を開拓した。また、東京で“県人集会”を開催し、地元企業に首都圏にいる地元出身大学生のUターン就職の道筋を拓いた。彼は事業経営者として、経営感覚、彼の言葉で言うなら、ファイナンスが地域づくりには不可欠であると語った。特異なキャラクターであるが、起業意欲の高い若者に受けると思われる。

・藤井裕也(ふじいゆうや)氏は岡山市出身で同県美作市に地域おこし協力隊として入り、山村シェアハウスなどを立ち上げ、若者自立支援を事業化している。その経験が認められ、地域おこし協力隊サポートデスク専門相談員も務める。30歳。

・佐々倉玲於(ささくられお)氏とは高知県四万十町で一緒に仕事をしたことがある旧知の間柄、本県の全国大会でも彼が全体会でファシリテーターを務めた。高知県出身、39歳、沖縄の大学に入り、そのまま現地でまちづくりNPOの活動をした後に帰郷し、四万十町などで地域づくり活動を起こした。一般社団法人いなかパイプはその名の通り、田舎と都会の若者などをつなぐ役割(インターンシップ、ツーリズム、起業研修など)を担っている。行政からの委託事業を2年前から取りやめ、自主財源で運営しているとのこと。

・後半のパネルディスカッションでは、事例報告で聞きそびれたことの深堀をしたが、パネリスト同士で質問をしあう、熱のこもった展開となった。

・この3人に共通していることは、彼らは地方を条件不利な地域とはまったく考えておらず、むしろ、可能性あふれるフロンティアと捉えている点である。おなじモノを見ても、プラス面を伸ばそうとするか、マイナス面をカバーしようとするかによって活動の印象が変わるものであるが、地域づくりに若い人の参加を促すには、楽しく見えることが、やはり大切であると思う。

・客観的に言うなら、若者の間では地域づくりは“かっこいい仕事”“先端的な領域”とみなされている。それと我々の地域づくりがうまく重ならない理由をよく考える必要がある。

 

・早稲田大学の宮口先生は、地方の格差は、格差ではなくて個性であると常々、言っているが、そのように考える世代がいよいよ台頭してきたと考えられる。(書き込みは3月2日)


安宅の桜並木

 

桜にかかわる新聞ネタです。安宅まちづくり21が20年間かけて植樹してきた桜が、桜並木となり、見頃を迎えていると伝えています。

安宅まちづくり21は石川地域づくり協会の草創期に一緒に活動した有力メンバーです。記事中にある代表の沖本浩三氏さんには運営委員として活躍していただきました。また、石川の地域づくりにワークショップを導入するきっかけをつくった「ワークショップin小松」を一緒に作り上げた地域づくり仲間でもあります。昨年秋にある会合でお見かけしたときはお元気だったのですが、亡くなられたことはつい最近まで知りませんでした。

安宅まちづくり21のことと桜の植樹については、ずいぶん前になりますが、石川地域づくり協会の会報「Mypage」に書きました(2003年発行12号)。JPGを載せましたのでお読みください。

 

この新聞記事を読みながら思うことは、地域づくりの長期的な視点です。20年後にこのようなまちになると信じて、安宅のみなさんは地道に桜のお世話を続けてきたに違いありません。桜の中には4月下旬まで咲いているものもあるとのこと、訪ねて見ようと思います。(2016年・平成28年4月7日書き込み)


西尾の野菜市

西尾の野菜市に行ってきました。西尾は小松市の梯川上流の中山間地です。地域づくり仲間の西尾グリーンツーリズム研究会の皆さんが春夏秋の年3回、地元野菜やその加工品を集めた「市」を開いています。夏の野菜市はお盆のお花がメーンです。

いまでは歌うこともありませんが、小学唱歌の「庭の千草」を思い出し、ガマの穂やススキの穂の入っている花束を選びました。私の中では、庭の千草のイメージはお盆の頃に咲くお花なのです。千草は「いろんな草木」の意味。この言い回しが素敵で、てっきり日本の歌だと思っていましたが、アイルランド民謡だそうです。

さて、西尾の野菜市ではリーダーのひとり、辻本さんとも話すことができました。70歳になる辻本さんとの話題は「野菜市」をいつまで続けられるか、あるいは、西尾でいつまで農業を続けられるかです。

そのような課題があったからこそ20年前に「野菜市」を始めました。しかしながら、野菜市のようなイベントで西尾地区に人の目を集める「シカケ」づくりには成功しましたが、これらを持続できる「シクミ」づくりには手が届いていません。農家レストランなどのいくつかの実験のお手伝いもしたのですが、実力を発揮できないままでいます。

さてさて、野菜市で金糸瓜と味平南瓜も買ってきました。写真を撮ってみたら、実に良い表情をしているのです。

他でも書いたことがありますが。特産品(商品)とは生産者と使用者(エンドユーザー)とを結びつけるコミュニケーションツールであり、市(マーケット)というのは村と町の境目につくられる価値交換の場所なのです。

西尾の野菜市は梯川の「十二ヶ滝」駐車場で開いています。集落が途切れる「村はずれ」の場所です。「村と町の境目に市が立つ」という「理論」を体現していて嬉しくなりました。

なお、「十二ヶ滝」は地元の少年たちが飛び込むダイビングポイントとのこと。四万十川まで行かなくても川遊びするこどもに会うことができます。(野菜市は8月13日開催、書き込みは15日)

 


まちの酒屋さん

酒税法改正案が自民党から提案されるという。酒の安売り競争により激減したまちの酒屋さんを守るために、製造原価を割るような過剰な安売りを規制するというものである。さて、どのように考えようか。

北國新聞、北陸中日新聞、読売新聞の記事を読んだ。どの新聞も「自由競争VS規制強化」の論旨で書かれている。地域づくりの視点からお酒のことを考えている私としては、画一的な報道姿勢に不満を感じた。

私には珍しい日本酒を毎晩のように飲んでいた時期がある。その頃は、日本酒の銘柄をたくさん揃えている酒販店こそが良い店で、決まりきった地酒しか置いていない田舎の酒販店に用はなかった。そして、能登の田舎道を走っていて、小さな集落にポツンとある田舎の酒販店を見かけると、どうやって経営しているのだろうと、いつも気になっていた。

いまはお酒から少し距離を置いている。すると見えてきたものがある。

先月のことである。珠洲市の酒販店さんに会いに行ったとき、近くまで行きながら道に迷い、目指す酒販店に到着するまでに、狭い地域であるにも関わらず、別の酒販店を二軒も回ってしまった。あとで聞いたら、珠洲市では町会ごとに一軒くらいの酒販店が残っているとのこと。お店の営業状態に濃淡はあるだろうが、それぞれが地域に必要なお店として生き残っているのである。それに感銘を受けた。商店のそもそもの役割を考えさせられた。私には用のないお店であっても、地域住民にとって重要な役割を担っているお店があることを理解できるようになった。

お店というのは、消費者の購買によって支えられているのであるが、消費者がお店に求めているものは一様ではないように感じている。そもそも消費者という言葉に私は疑問を持っているのだが、それはともかく、お客様は商品やサービスと引き換えに代金を支払っているだけではないように思う。そのお店がなくなったら困るので、あるいは、そのお店が長く続いて欲しいから、そこで買い物をするという側面も少なからずあるのではないだろうか。

さて、新聞記事に戻ろう。地方は小規模事業者で支えられている。現政権は地方創生を標榜し、多くの人がそれに賛同しているのだから、地方創生につながる事業を企画する小規模事業者を支援する政策を立案したらどうだろう。規制強化よりは支持されるように思う。

たとえばこういうのはどうだろう。田舎の酒販店さんは高齢者世帯への配達業務で食いつないでいる。この宅配サービスを地元のお店で支える仕組みづくりに取り組む自治体に、どんと事業費をつけるとか、ね。あぁ書きすぎた。


金澤駅前もてなし会 

年度末になり、今年度手掛けてきた事業の成果発表会が、このところ続いています。本日は「金澤駅前もてなし会」のお披露目でした。北陸新幹線金沢開業(来年3月)に向けた取り組みとして、金沢駅前に店を構える飲食店16店舗がこのグループを組織しました。金沢らしいおもてなしをすることで、駅前に「秩序ある賑わい」を創出す、また、自店舗の経営改善を目的にしています。

さて、「おもてなし」は流行語になっていますが、金沢市ではかなり以前から「市民のもてなし力の向上」に取り組んでいて、市政の重要な課題になっています。金沢駅前の地下広場に「もてなしドーム」と名付けているくらいです。従って、「もてなし」という言葉は、よくよく内容を吟味して使わないと、金沢では軽く扱われてしまいます。

そこで、このプロジェクトでは「もてなしの見える化」に取り組みました。無形のもてなしにカタチを与えることで、観光客に分かりやすく、また、会員店でも実行しやすくしました。

具体的には次のようなことです。

   統一サインに金沢の郷土玩具「八幡起上り」をモチーフにしたキャラクターを採用。

   その看板を金沢の伝統工芸「加賀友禅」で製作。

   各店で九谷焼や加賀毛針、金箔など石川の伝統工芸品を使う

   観光ボランティアガイド「まいどさん」の取次ぎ窓口になる 

このグループでは、有名旅館のカリスマ中居さんや、航空会社のCAさんなどを講師に招き、接客の研修を自主的に重ねています。一国一城の主である飲食店の店主が、揃ってこのような研修を受けるのは、本当にすごいことです。彼らの真剣さ、やる気が伝わってきます。ぜひ注目してください。県外の方は、駅前もてなし会をぜひご利用ください。

 (3月27日書き込み) 


大学生が研究する地域課題 

昨日は、分不相応なのですが、審査員をしていました。大学生が県内の地域課題を1年がかりで研究するもので、昨日はその成果発表会が行われました。私はふたりの審査員とともに9つの発表を審査しました。

9つの研究テーマを私なりに要約すると次のようになります。「輪島のコミュニティーバスの利用促進策を考察する」「若い人を対象にした能登観光の旅行商品開発」「中世の荘園の痕跡を住民ヒアリングで調査する(能登町)」「モデル地区で健康長寿のまちづくりを実験する(穴水町)」「能登島の豊かさを社会関係資本(人の絆)から考察する」「花咲くいろはを観光客誘致の観点から考察する(湯涌温泉、西岸駅など)」「7年目になる白峰地区でのまちづくり活動の報告」「子育て支援者の研修プログラム開発(白山市)」「木材リサイクルシステムに関する考察(能美市)」。

それで、審査員ですから、優劣をつけるわけですが、一番出来が良かったのは「白峰地区の活動」で、他の審査員も同様に評価し、最優秀賞が与えられました。この研究は金沢工業大学の谷ゼミの皆さんが継続的に取り組んでいます。先輩から後輩へうまく引継ぎが出来ているのでしょう。過去の研究の蓄積の上に今年の成果を乗せていて、発表内容に「厚み」がありました。また、白峰村とのつながりも強固にできあがっており、そこも評価されました。

点数は低かったのですが、私がはっとさせられたのは、「中世の荘園」です。金沢学院大学の東四柳ゼミの皆さんの研究で、能登町柳田地区にかつてあった「町野荘(まちのしょう)」を調査しています。彼らの発表によると、郷土史研究家でもあまり調査研究が進んでいない分野のようで、学生にできる調査(地域住民のヒアリングなど)をしていることは評価して良いと思います。

彼らは発表会で「耕作放棄で歴史が忘れられていく」と語りました。このセンスにはっとしました。彼らの論文には「(地元の歴史など)地域住民によって語り継がれてきた伝承は、社会環境の変化によって失われつつある」と書いており、これをより実感に近い言葉にして発表したのだと思います。発表した大学生に、この言葉の意味を質問したのですが、彼は自分が宝物のような言葉を発していることに気がついていないようで、ポカンとしていました(私が指導教官だったらなぁ)。

彼の気づきは「生活の中に息づいていることが伝承される」ということだと思います。中世の荘園というのは室町期ですから、約500年前のことになります。そんな昔のことがどのように伝承されるのか、考えただけで気が遠くなりますが、学生たちは地名(地元での呼び方、小字)、灌漑施設、産業、伝承などを地元住民33人にヒアリングしており、その中で上記のような思いにたどり着いた、あるいは、地元の古老がそのようなことを言った、のではないでしょうか。

学生たちの研究発表は技術的な稚拙さばかりが目立ち、あまり付き合いたくないとの思いもあるのですが、このようにキラキラした言葉に出会うと、また来年も審査員を頼まれたら引き受けようかな、と思うのです。

事業名:平成25年度地域課題研究ゼミナール支援事業、地域貢献型学生プロジェクト推進事業

主催:大学コンソーシアム石川

発表会:平成26年3月1日(土曜日)、しいのき迎賓館 


「イベント地域づくり」考 

大垣市に来ています。全国地域リーダー養成塾の情報交換会に参加するためです。情報交換会は、大垣市の3人の卒塾生がコーディネートし、大垣市での地域づくり活動の事例が紹介され、ワールドカフェのスタイルで意見交換しました。

事例紹介で刺激を受けたのは、徹底したイベント開催です。商店街の賑わい創出のために月1回開催されている「元気ハツラツ市」のチラシを見せていただきましたが、B4のチラシに催事がギュウギュウ詰めに掲載されています。ご当地アイドル、チアリーダー、コスプレ、フットサル、ワゴンセール、ご当地グルメ、スタンプラリーなどなど、思いつくものをほとんど網羅。これでH24年には年間36万人を集客したとのこと。ちなみに大垣市は人口16万。

もうひとつのイベントは「おむすび博(結ぶまち・おおがき・体験博)」です。「オンパク」の手法を借りたものと思われますが、地元企業や市民団体が企画した文化講座が、大垣市全域を舞台に、昨年秋に47講座も開催されています。アンケート調査では、参加者のほとんどが満足し、次も参加したいと回答したとのこと。

初めて訪れた土地で、初めて紹介される事例報告は、前後の事情が分からないため、たいていの場合は自慢話にしか聞こえず、以前の私なら斜に構えてしまうのですが、最近は我慢強くなり、なによりも地域づくりは、踊るアホウと見るリコウ者がいるなら、踊るアホウの方がはるかに幸福であると思うようになってきていて、この事例報告に最後まで耳を傾けることができました。

そして、このイベントを遂行するために大垣の様々なグループが協働しており、イベントの成果(たとえば商店街の売り上げが伸びたのか、など)も大切ですが、それよりも、様々な年齢層の市民が数多く地域活動に参加していることのほうが、はるかに意味のあることのように思えました。

これらの報告を受けて大森彌先生(リーダー養成塾塾長)がされたコメントからヒントをえたことですが、大垣は松尾芭蕉にゆかりの地で俳句が盛んな土地で、市が公募した「大垣かがやき俳句」に4160点もの投句があり、そのうち小学生が2179点もありました。大垣の小学生の数は約9000人ですから、24%もの参加率になります。この数字は文化水準の高さを示すものであり、住民参加の熱の高さも示すものだと思います。

やや強弁に聞こえるでしょうが、各種団体が連携し、多くの住民を巻き込む、網の目のような細やかな仕掛けを施し、イベントを繰り返し行うことにより、大垣では住民による地域づくり活動への参加が常態化している、そのように考えました。写真は大森塾長。(H26年2月1日)


大晦日の書評「複合経営に生きる」 

本書のことを教えてくれたのは株式会社四万十ドラマの畦地履正社長である。数年前になるが、畦地社長がこの本を読み返して元気づけられたと話してくれた。いつも元気な畦地社長を、さらに元気づける本とはどんなものだろう。それ以来、四万十の皆さんにこの本はありませんかと聞いていたのだが、今年の秋に、ようやく手に入れることができた。

本書は1983年(昭和58年)に出版されたものである。褐色に焼けたページをめくる度にハッとさせられる言葉や考え方が現れてくる。いま読んでも、繰り返し読んでも、それに耐えうる普遍性を、本書は持っている。実践家の経験談の姿をしているが、その内容は、山村が生き残るための「思想の書」である。

著者の岡峯藤太(おかみねふじた)氏は1960年に十和村(現四万十町)の農協と森林組合の組合長になり、経営不振であった農協を、20年かけて預金残高約14億円の優良農協に育て上げた。地域の農林業振興のために岡峯氏が奨励したのは、先ずは地元のナラ林を活用した木炭の製造販売であり、次に椎茸、茶、栗の栽培であった。これらを増産し、販路を独自に開拓することで、地域の農家に、ひいては地域全体に活気をもたらした。30年経過した今日でも、椎茸、茶、栗は四万十の主要作物である。

私が石川県で紅茶づくりを始めて約10年になる。茶畑という地域資源を活用した「小さな仕事おこし」で始めたものであるが、加賀の紅茶の商品化を経て、いまは「産業化」に取り組んでいる。加賀の紅茶の将来に、私もある程度の責任を負うものであるが、そうした視点に立ったとき、本書から読み取ることができる、岡峯氏のリーダーシップに学ぶところは多い。とりわけ、地域づくりという永続的な活動には、書物にして記録を残すことが重要であると感じている。私自身が本書を読むことにより刺激を受けているからである。

岡峯氏は本書で複合経営を次のように説いている。平地の少ない山村では、山から現金収入を得なければ生きていけない。そのために、平地では米を主体にした食糧の自給を考え、現金収入が得られる山の「短期利用」と、資産形成になる「長期利用」をバランス良く組み合わせなければならない。

日本中の山が杉や檜の針葉樹ばかりになっているのは、国がそのような植林政策を推進したからである。しかし、岡峯氏はその方針を地元の事情に合わせて方向転換し、針葉樹の檜も植林したが、椎茸の原木となるクヌギの植林事業も展開した。檜が建材として商品になるには50年の歳月が必要だが、椎茸用のクヌギは10年で切り出すことができるからである。

さて、本書では紅茶事業についても書かれている。十和村では1959年(昭和34年)から11年間、紅茶づくりに村を上げて取り組んだ。紅茶品種を植えるところから始まり、紅茶工場も造ったが、市場を開拓することができず、1970年(昭和45年)に完全撤退する。茶畑では緑茶品種への植え替えが行われ、緑茶事業に切り替えられたのである。岡峯氏は高い授業料を払ったと書き、同時に、だからこそ緑茶事業の基礎固めになったとも書いている。

岡峯氏が紅茶の復活を予見していたかは分からないが、岡峯氏の孫である岡峯久雄氏(広井茶生産組合代表)と株式会社四万十ドラマの連携によって、2006年初夏にしまんと紅茶が復活した。私もその紅茶づくりにかかわらせていただき、以来、四万十通いが続いている。

本書を読みながら感じているのは、事業の継続、活動の持続性である。誰が始めたかも、確かに興味深いことであるが、その事業によって20年後、30年後に地域がどうなったか、そちらの方がはるかに重要である。岡峯氏が描いた「大局観」を、「加賀の紅茶」や「地紅茶」の事業に、私自身が描くことができるのだろうか。

除夜の鐘が鳴る前にここまで書くことができた。来年もまた良い年にしたい。 (平成25年12月31日) 

■複合経営に生きる、林産物の活用と山村経営の進路(岡峯藤太著、清文社刊、昭和58年8月発行)


コンセプトをつくる 

5月26日に石川地域づくり協会の総会があり、H23の決算、H24の事業と予算が承認された。予算には前年の約10%の減額で、年々、出来ることが少なくなってきた。減額される中にあって、私が主任講師を務める地域づくり塾の事業予算は飛び抜けて大きく、わずか10名程度塾生のためにこんなに金を使うのか批判されないよう、成果を出さねばと思った。でも地域づくりの成果ってなんだろう。 さて、総会後は地域づくり塾の修了者による報告と、コーディネーターの自己紹介があり、私も約5分間の講和を行った。以下、その内容である。 


地域づくりコーディネーターとしての私の専門は「コンセプトづくり」です。本日はその実例をお見せします。

昨年は湯涌かぶら利用拡大協議会の「湯涌かぶら復活事業」のコーディネートをしました。この協議会は湯涌地域の農家や温泉旅館などが中心となり、江戸期に栽培されていた「湯涌かぶら」を復活させることで地域を活性化させようとしています。この活動のコンセプトを次のようにまとめてみました。 

●湯涌かぶらの物語

湯涌かぶらの活動などを説明するとき使用します。物語スタイルにすることで、覚えやすく、話題にしやすくしています。

 

昔々、金沢に「湯涌かぶら」というものがありました。

今から約230年前に書かれた古文書に記録が残っており、

カタチが大根のように長く、味も良いと記されています。

藩政時代の加賀の俳人、句空も詠んでいます。

年とりや 湯涌の蕪  田井の芹

 

俳句に詠まれるほど親しまれた湯涌かぶらでしたが、

いつのまにか湯涌から消えてしまいました。

住んでいるまちの名前をつけたものが残っていないのは

とても残念なことです。

 

私たちは地元の古老を訪ねましたが、

湯涌かぶらを見たことのある人も食べたことのある人もおらず

炭焼き小屋のあたりに自生していたらしいという

わずかな記憶を引き出せただけでした。

湯涌かぶらはまぼろしのように思えました。

 

私たちは地元の農家の方と一緒になって

消えてしまった湯涌かぶらの栽培を始めました。

江戸期のかぶらに近いと思われる品種を何種類も試験的に植えながら、

湯涌かぶらの姿かたちを推理しました。

これはとても楽しいことになりつつあります。

 

休耕地を活かすことができますし、いろいろお料理する楽しみもあります。

外の人から教わることも、いろんな人から注目されることも刺激になります。

なによりも、地元の者が力を合わせ、汗を流していることに喜びを感じています。

私たちはまぼろしの湯涌かぶらを追いかけているのではなく、

新しい湯涌かぶらを育てることで、いまの湯涌を充実させようとしています。

 

かぶらの語源には

頭を意味する「かぶり」や根を意味する「株」などの諸説があるようですが、

私たちは湯涌かぶらの活動を地域の頭にいただき、

大きな根を張る「株」に育てていきたいと考えています。

 

かぶらは頭、かぶらは根っこ。湯涌かぶらはまちを元気にします。

      (平成24年5月書き込み)


昨日(平成24年4月6日)は石川地域づくり協会の「地域づくりコーディネーター」委嘱状交付式が行われ、私を含めて16人の研究者や専門家が委嘱されました。

FB仲間からもコーディネーターが何人も誕生!委嘱状を手渡しているのが県の部長、これって結構凄いことです。予算が年々厳しくなっていくなか、県として引き続き地域づくり協会の活動を支援するという意思表示であり、ありがたく思います。

私は1995年から地域づくりのコーディネートをしていますが、当初は同協会の事業で全国各地を視察させていただきました。その経験がいまの私を支えています。味の素のCM風に言うなら、わたしはわたしの見聞きしたものでできている、です。

新しくコーディネーターになられた方にも、同じように全国各地の現場を見ていただき、持てる能力を発揮していただくことが、私のような年配コーディネーターの役割と考えています。がんばれ!(写真提供はFB仲間の大湯さん。感謝)

 

以下、交付式での私の挨拶です。

 

本日は委嘱状交付式を設けていただきありがとうございます。ただいま委嘱状をいただき、身が引き締まる思いをしております。

このような公式の場で挨拶をすることに慣れておりませんので、用意した書面を読ませていただきます。

本日、石川地域づくり協会が委嘱した16名の地域づくりコーディネーターが誕生しました。ここにお集まりの皆様は、委嘱式に臨みながら、コーディネーターとはなにか、さらには、地域づくりとはなにかを、改めてお考えのことと思います。

石川地域づくり協会は1994年秋に発足し、今年で18年目になります。石川県によるご支援と、運営委員および事務局の皆様のご尽力により、地域づくり協会の活動が継続できたことは言うまでもありません。

そしてもうひとつ、地域づくりとはなにかという根元的な問いかけに対して、その時々にふさわしい答えを、あるいは、それぞれの現場にふさわしい答えを、地域づくり円陣などの実践を通して指し示してきたことが、参加団体が120にものぼる、今日の石川地域づくり協会を作ってきたものと思います。

地域づくりの課題はひとつではなく、その解決方法も多様にあります。ここに16人の、様々な専門分野をもったコーディネーターが集まったことは、地域づくりの多様な課題の解決に、大いに役立つものと思いますし、また、参加団体の皆様からも、そのように期待されているものと考えます。

さて、コーディネーターとはなにか、と聞かれたとき、私はLMNと答えています。

Lとはライトアップ、地域の眠っている資源などに光りを当てることです。

Mはミーニング、意味づけです。地域の地道な活動などに、それはこのような意味がありますよと知らせ、勇気づけることです。

Nはネーミング。その活動に名前を与えることです。良いネーミングは地域の活動を世界に広めていく力を持ちます。

コーディネーターはつなぎ役であり、地域づくりの主役は地域の皆様でありますが、コーディネーターに求められていることは、ご意見番としての役割よりもむしろ、マラソンに例えるなら、選手に寄り添って走る、伴走者の役割ではないでしょうか。

石川地域づくり協会の皆様とともに走る、地域づくりの現場で活躍する皆様とともに走る、行動するコーディネーターになることをお誓い申し上げご挨拶といたします。

(平成24年4月書き込み)